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ご存知の方も、おりましょうが

 投稿者:  投稿日:2009年 7月 9日(木)22時38分35秒
  カメラマン篠田昇の残したもの
http://channel.slowtrain.org/shinoda/

を、紹介させてください。佐々木さんとの想いが書かれてます。どぞ、どぞ。

ps
「今、全共闘をふりかえる」というテーマで「流動」という雑誌が家にありましたの。
最首悟・神津陽・津村喬・笠井潔の面々(ありきたりきの)がお喋りしてます。
この方達はおいといて、中に『「農民」になること‐生活の場から』by田村正敏。
という論文が載っておりました。

抜き書きするには勿体なく、どうしたらいいか分からないのでブツはナニしようと思います。
 

そうだよ。。

 投稿者:文理\(^o^)/学科  投稿日:2009年 7月 9日(木)22時34分4秒
  管理人さんが言う通り。管は東工大のスト破り、町村もそう。いわば反動です。そういうのを乗せて朝日は"バランスをとる"という考えかもしれないが、不愉快である。

バリケードの内側と外側とでは、深い溝がある。
 

明大全共闘さんへ

 投稿者:軟弱銀ヘル  投稿日:2009年 7月 9日(木)07時52分7秒
  明大の皆さんには頭が上がらないです。拠点としての和泉校舎、集会場としての記念館、逃げ込み先の学生会館。明大が頼りでしたね。明大生は、私たちに優しかった。感謝です。
以前の記念館が高層ビルの校舎に変わって、指名手配のような感じで、名前を掲示して新左翼系学生の入場禁止の立て看が立てられています。他校とは言え、少し寂しいです。
 

(無題)

 投稿者:80年代  投稿日:2009年 7月 9日(木)00時06分12秒
  ついに登場ですね。待ちに待っていました。しかし、今の状況は、皆さんにご心配とご迷惑を掛けっぱなしで、心苦しいばかりです。
しかし・・・「闘争勝利!」・・・です。
 

新宿西口のデモ

 投稿者:明大全共闘  投稿日:2009年 7月 8日(水)20時35分41秒
  軟弱銀ヘル さんへ

明大和泉には文理の皆さんを含め、日大全共闘の方々がいっぱいいましたね。

西口のデモは1回だけですが参加しました。
その時はヘル部隊の記憶はありません。
ほとんどノンヘル。
デモ隊の脇を白ヘルを被ったお兄さんが乗った車が行き来して警察情報を伝えていました。
 

フォークゲリラの思い出

 投稿者:軟弱銀ヘル  投稿日:2009年 7月 7日(火)22時47分46秒
  69年の新宿西口フォークゲリラは、私にとって4年間の全共闘活動の中で、いちばん楽しい思い出かもしれない。私たち銀ヘルグループは、明大和泉校舎から出陣しましたが、べ平連幹部から、派手にやらないでくれ、と圧力?を受けていたので、ヘルメットと旗を隠し持って集会に参加しました。最後の歌は、お約束のインターナショナルで、この歌が終わると、私たちは、座り込みを解いて、ピーッと笛を吹き、一斉にスネークデモに移りました。私たちは、30人くらいの部隊しかいなかったのですが、デモが始まって、後ろを見ると、いつも1000人くらいの一大デモ隊になっていました。楽しかったな。なぜかヘル部隊は、私たち以外は赤ヘル数人しかいなかったような気がします。なんでセクトの諸兄はこんなおいしい場面を見逃しているんだろう、と不思議な気がしていたものでした。  

もうダメかもしれない

 投稿者:文理\(^o^)/学科  投稿日:2009年 7月 5日(日)19時55分41秒
  今仕事で鳥取市にいます。仕事で体力が持たず来週には東京に帰ります。鳥取で昔の仲間と会ったのですが、地方の疲弊度は予想以上に激しい。政権が自民であれ民主であれ、どうにもこうにもならない。

作業員さんを募集したが200名枠に1000人以上応募がある。日当6300円で雨天日は支払いはない。ハローワークで募集して作業員さんと会話をした。仕事がない、この現実を直視する。

6300円で月に雨天日がないとして、22日働いて約13万円である。それでも作業員さんは真夏日で必死に働く。若い人もいるし、リストラにあったサラリーマンもいる。

昔だったらプロレタリア革命をオグルるだろうが、今の現実を見るとそういう話はできない。もうどうしようもない、という気持である。地方も物価は東京と同じである。革命以前に生活をどうするのか、切実なもんだいである。
 

記録は動き出しませんか。

 投稿者:大木晴子  投稿日:2009年 7月 5日(日)01時07分50秒
  あの時代・・・
あの時の想い・・・
記憶が記録されていることは素晴らしいとおもいます。
その記録は動き出しませんか。

http://www.seiko-jiro.net/

 

山本さんの写真

 投稿者:軟弱銀ヘル  投稿日:2009年 6月30日(火)23時02分45秒
  朝日新聞の山本さんの写真については、よく覚えています。「安田講堂」の寸前、記者に囲まれてインタビューを受けていたときのものです。記者からの「角を矯めて牛を殺すことにならないか」という質問に、「殺さなければならないこともあるでしょう」と突っぱねていました。当時、へー、やるなと思ったものでした。やや疲れた顔をしていますね。
しかし、山本さんは、いつもヘル姿、秋田さんは、いつもノーヘル姿ですね。秋田さんはヘルをかぶったことがあるのでしょうか。
 

管理人さん、ありがとう

 投稿者:  投稿日:2009年 6月29日(月)22時43分51秒
  先日の土曜日。30数年来の後輩と一杯やりましたの。
入学前に里塚で一戦やらかしパクられて、学内初登場以来のお付き合いです。
うちは地元新聞だけど後輩んちはA新聞をとっていて、夕刊を貰ってきました。
ところが佐々木さんの章がなかったのです。よかった、よかったですぅ。

続きは後輩の連れ合いさんに頼んどきました。
連れ合いさんは、彼女が高校生の時からの知り合い。同郷ですのよ。
話は簡単です。だからと言って私の缶ビールを飲まないでください(^^)

書棚には叛バリが、叛バリさんの許可を戴いた『レジュメ』のコピーと一緒にあるのです。
わはは
 

管理人さんの日記を読んで

 投稿者:明大全共闘  投稿日:2009年 6月25日(木)20時46分9秒
  安田講堂の記事に出てくる人物は、前田さんではなく米田さんですよね。

反逆の時代を生きて4回目は佐々木さんでしたが、日大全共闘写真集はいわゆる「写真集」という範疇ではなく、佐々木さんの想いが詰まった個人のアルバムのように思えます。
それがいいのでしょう。
この記事により、写真集が若い世代の人たちに広く見られることを期待します。
 

場でして、ごめんなさいm(__)m

 投稿者:  投稿日:2009年 6月14日(日)23時04分43秒
  aaghさん、こんばんは

こればっかりはセンスつうっか感覚の世界です。
趣味の世界でも。
 

(無題)

 投稿者:aagh  投稿日:2009年 6月13日(土)04時26分4秒
  藪へ
申し訳ないが、彼のロックは好きではない。
「コトバ」を、感じないから、だ。
 

最近の経済記事から

 投稿者:The「1968」  投稿日:2009年 6月11日(木)21時40分22秒
  「どこからどこへ」さんも言われているが、この夏の米国発金融崩壊は、いよいよ現実味を帯びてきているようだ。米国の単独覇権体制から多極化(BRIC・GCC・EU)した経済体制へ覇権が移行するようだ。これまで世界は、米国の生産から消費のほぼ全ての領域でドル決済による支配を受け、特に、この国の人々の多くは環太平洋(海側)の優位性(米国従属化)を選択し恩恵を享受してきた。ところが2007年に顕在化した究極の集金システム(プライムローンの破綻・崩壊)が行きづまり逆回転をはじめ、更にイラクとアフガン戦争は泥沼化し足抜けができず軍事費の負担は増大している。第2次大戦後世界の覇権体制は、英国・米国・(イスラエル)の産軍複合体によって維持・支配されてきた。冷戦後のイラク・アフガン戦争の泥沼化は、イスラム精神を惹起させアラブ諸国に敵対するイスラエルは、国が消滅する可能性まで出てきている。米国の覇権の終焉の影響といえる。
目を転じて、東アジアはBRICのうち(ブラジルを除く)ロシア・中国・インドがあり、特に最近の中国の経済成長は改革開放政策によりGNPでも来年当たり日本のGNPを抜くところまできている。このことを背景に、現在米国の国債をもっとも多く保有しているのは中国であり、米国の金融破綻の影響を大きくかぶる国といえる。このことの回避策として最近の中国は、世界の鉱物資源の確保等の動きが活発になっている。こうした動きの結果、東アジアの覇権の確立は「人民元」建・決済の方法で行われる可能性が高い。北東アジアの枠組みは中国を中心に日本・韓国・北朝鮮・ロシアの5カ国で、実質は米中両国とその他となる。東南アジアは上海機構に組み込まれ、やはり中国がその中心にあることはかわらない。こんご中国の経済成長はすすみ、国内の矛盾を内包しながらも全体として国内需要拡大の方向に向かっていく。
これは、インドの経済の成長と内需拡大(タタ自動車の販売拡大)と(一部に富が片寄る傾向がありながらも)ロシアの石油・ガスの価格高騰による内需拡大傾向といい、地政学的な面からも従来の海側の優位性から陸側に優位性が移ってきているのが、米国の覇権の終焉と同時に顕在化してきているといえる。
英国(パックス・ブリタニカ)〜米国(パックス・アメリカーナ)の終焉。米・中の2カ国を中心に・中東・EU・南米ブラジルと多極化する時代に、この貿易立国はどこへ行こうとしているのかな?(破綻寸前の英国とおなじ洋上の孤児になるのか・・・)
 

無責任に(^_^;)

 投稿者:  投稿日:2009年 6月 9日(火)21時46分11秒
  闘争勝利!

http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do
 

貧困について

 投稿者:新闘委1969  投稿日:2009年 6月 7日(日)10時57分22秒
  ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
 もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。総収入の額と総商品の額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
 このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の貧困を生み出す。
 加賀百万石の国で百万石のすべてが消費に回されれば百万人が生きることができる。十万石が貯蓄に回されれば十万人が餓死する。十万人の餓死を防ぐには溜め込まれた十万石を没収して貧民に配ればよい。
 貯蓄が残るということは、それがなくても生活が維持できるということなのだから、それを没収して貧民に配れば貧困を解決することができる。
現物のコメが溜め込まれてしまったら力まかせで放出させるしかないが、カネが溜め込まれている場合にはいくつか方法がある。木の葉っぱに「かね」とスタンプを押して貧民に配ることもできる。または、没収するのはカドが立つというのなら公営の銀行に預金を集め、その金を国づくりのためとかいう名目でバラまけばいい。これが要するに郵貯による公共事業だ。しかしこの、「郵貯による公共事業」という偉大な循環ポンプの一つが今機能を停止されようとしている。日本経済の急所が突かれたのだ。
 

(無題)

 投稿者:aagh@明大文ゼミ協  投稿日:2009年 6月 6日(土)02時06分8秒
  ?>卒業後、I君はネパール、

わたしではないかと思い、ドキリ!

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970/comment/20090522/1242993406#comment

 

管理人様

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 6月 6日(土)00時43分24秒
  失礼など、めっそうもない。ホントありがとうございました。
>一面識もない、
>年齢も知らない、
>過去の履歴も知らない…わたしと、
親しくお話しいただけて、とてもうれしかったです。

”もやしラーメンのS”さん
迫力があって、後年の活動家にはないパワーを感じる方でした。
きっと、そのあたりが日大の強さの秘密かな
と、思った昨晩でした。
 

きのうは、はからずも、

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 6月 6日(土)00時18分36秒
  銀ヘルさん
>私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。
わたしの、まわりも(ドロップアウトとはすこし違うかもしれませんが、)いまは会うことが、かなわない仲間が、ほとんどです。
…で、わたしは、ここにきました。それで、書き込みをさせていただくだけでも感謝!なのに…。
きのうは、はからずも、管理人さんにお会いすることができました。(じつは、すべてはY氏の、おかげです。)それにしても、うれしかったなぁ。ネットの奇跡に感謝!

藪さんや銀ヘルさんに
お会いできる日も近い気がしてきました。
 

こんな程度の話しですが

 投稿者:軟弱銀ヘル  投稿日:2009年 6月 4日(木)20時50分11秒
  当時、私たちの小グループ「カムイ伝研究会」のメンバー、I君の3畳の下宿が西武線の中井にありました。窓の下には神田川‥でした。そこにグループリーダーのN君が転がり込み、2人で暮らしていましたが、当然、そこが私たちの溜まり場になりました。ここでガリ版を切ったり、ヘルを隠しておいたものでした。管理人さんの桃井コンミューンから、直線で6kmくらいの距離です。管理人さんとずいぶん近くに居たのですね。
I君は、新宿三丁目にあった東映映画の2階の食堂で働いていたので、どんぶりモノを作るのが上手で、下宿に行くと玉丼を作ってくれました。
卒業後、I君はネパール、N君はアメリカに海外に行ってしまった関係で、今ではまったく連絡がつきません。
私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。死ぬまでには一度会いたいものです。
 

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