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管理人さん、ありがとう

 投稿者:  投稿日:2009年 6月29日(月)22時43分51秒
  先日の土曜日。30数年来の後輩と一杯やりましたの。
入学前に里塚で一戦やらかしパクられて、学内初登場以来のお付き合いです。
うちは地元新聞だけど後輩んちはA新聞をとっていて、夕刊を貰ってきました。
ところが佐々木さんの章がなかったのです。よかった、よかったですぅ。

続きは後輩の連れ合いさんに頼んどきました。
連れ合いさんは、彼女が高校生の時からの知り合い。同郷ですのよ。
話は簡単です。だからと言って私の缶ビールを飲まないでください(^^)

書棚には叛バリが、叛バリさんの許可を戴いた『レジュメ』のコピーと一緒にあるのです。
わはは
 

管理人さんの日記を読んで

 投稿者:明大全共闘  投稿日:2009年 6月25日(木)20時46分9秒
  安田講堂の記事に出てくる人物は、前田さんではなく米田さんですよね。

反逆の時代を生きて4回目は佐々木さんでしたが、日大全共闘写真集はいわゆる「写真集」という範疇ではなく、佐々木さんの想いが詰まった個人のアルバムのように思えます。
それがいいのでしょう。
この記事により、写真集が若い世代の人たちに広く見られることを期待します。
 

場でして、ごめんなさいm(__)m

 投稿者:  投稿日:2009年 6月14日(日)23時04分43秒
  aaghさん、こんばんは

こればっかりはセンスつうっか感覚の世界です。
趣味の世界でも。
 

(無題)

 投稿者:aagh  投稿日:2009年 6月13日(土)04時26分4秒
  藪へ
申し訳ないが、彼のロックは好きではない。
「コトバ」を、感じないから、だ。
 

最近の経済記事から

 投稿者:The「1968」  投稿日:2009年 6月11日(木)21時40分22秒
  「どこからどこへ」さんも言われているが、この夏の米国発金融崩壊は、いよいよ現実味を帯びてきているようだ。米国の単独覇権体制から多極化(BRIC・GCC・EU)した経済体制へ覇権が移行するようだ。これまで世界は、米国の生産から消費のほぼ全ての領域でドル決済による支配を受け、特に、この国の人々の多くは環太平洋(海側)の優位性(米国従属化)を選択し恩恵を享受してきた。ところが2007年に顕在化した究極の集金システム(プライムローンの破綻・崩壊)が行きづまり逆回転をはじめ、更にイラクとアフガン戦争は泥沼化し足抜けができず軍事費の負担は増大している。第2次大戦後世界の覇権体制は、英国・米国・(イスラエル)の産軍複合体によって維持・支配されてきた。冷戦後のイラク・アフガン戦争の泥沼化は、イスラム精神を惹起させアラブ諸国に敵対するイスラエルは、国が消滅する可能性まで出てきている。米国の覇権の終焉の影響といえる。
目を転じて、東アジアはBRICのうち(ブラジルを除く)ロシア・中国・インドがあり、特に最近の中国の経済成長は改革開放政策によりGNPでも来年当たり日本のGNPを抜くところまできている。このことを背景に、現在米国の国債をもっとも多く保有しているのは中国であり、米国の金融破綻の影響を大きくかぶる国といえる。このことの回避策として最近の中国は、世界の鉱物資源の確保等の動きが活発になっている。こうした動きの結果、東アジアの覇権の確立は「人民元」建・決済の方法で行われる可能性が高い。北東アジアの枠組みは中国を中心に日本・韓国・北朝鮮・ロシアの5カ国で、実質は米中両国とその他となる。東南アジアは上海機構に組み込まれ、やはり中国がその中心にあることはかわらない。こんご中国の経済成長はすすみ、国内の矛盾を内包しながらも全体として国内需要拡大の方向に向かっていく。
これは、インドの経済の成長と内需拡大(タタ自動車の販売拡大)と(一部に富が片寄る傾向がありながらも)ロシアの石油・ガスの価格高騰による内需拡大傾向といい、地政学的な面からも従来の海側の優位性から陸側に優位性が移ってきているのが、米国の覇権の終焉と同時に顕在化してきているといえる。
英国(パックス・ブリタニカ)〜米国(パックス・アメリカーナ)の終焉。米・中の2カ国を中心に・中東・EU・南米ブラジルと多極化する時代に、この貿易立国はどこへ行こうとしているのかな?(破綻寸前の英国とおなじ洋上の孤児になるのか・・・)
 

無責任に(^_^;)

 投稿者:  投稿日:2009年 6月 9日(火)21時46分11秒
  闘争勝利!

http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do
 

貧困について

 投稿者:新闘委1969  投稿日:2009年 6月 7日(日)10時57分22秒
  ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
 もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。総収入の額と総商品の額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
 このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の貧困を生み出す。
 加賀百万石の国で百万石のすべてが消費に回されれば百万人が生きることができる。十万石が貯蓄に回されれば十万人が餓死する。十万人の餓死を防ぐには溜め込まれた十万石を没収して貧民に配ればよい。
 貯蓄が残るということは、それがなくても生活が維持できるということなのだから、それを没収して貧民に配れば貧困を解決することができる。
現物のコメが溜め込まれてしまったら力まかせで放出させるしかないが、カネが溜め込まれている場合にはいくつか方法がある。木の葉っぱに「かね」とスタンプを押して貧民に配ることもできる。または、没収するのはカドが立つというのなら公営の銀行に預金を集め、その金を国づくりのためとかいう名目でバラまけばいい。これが要するに郵貯による公共事業だ。しかしこの、「郵貯による公共事業」という偉大な循環ポンプの一つが今機能を停止されようとしている。日本経済の急所が突かれたのだ。
 

(無題)

 投稿者:aagh@明大文ゼミ協  投稿日:2009年 6月 6日(土)02時06分8秒
  ?>卒業後、I君はネパール、

わたしではないかと思い、ドキリ!

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970/comment/20090522/1242993406#comment

 

管理人様

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 6月 6日(土)00時43分24秒
  失礼など、めっそうもない。ホントありがとうございました。
>一面識もない、
>年齢も知らない、
>過去の履歴も知らない…わたしと、
親しくお話しいただけて、とてもうれしかったです。

”もやしラーメンのS”さん
迫力があって、後年の活動家にはないパワーを感じる方でした。
きっと、そのあたりが日大の強さの秘密かな
と、思った昨晩でした。
 

きのうは、はからずも、

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 6月 6日(土)00時18分36秒
  銀ヘルさん
>私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。
わたしの、まわりも(ドロップアウトとはすこし違うかもしれませんが、)いまは会うことが、かなわない仲間が、ほとんどです。
…で、わたしは、ここにきました。それで、書き込みをさせていただくだけでも感謝!なのに…。
きのうは、はからずも、管理人さんにお会いすることができました。(じつは、すべてはY氏の、おかげです。)それにしても、うれしかったなぁ。ネットの奇跡に感謝!

藪さんや銀ヘルさんに
お会いできる日も近い気がしてきました。
 

こんな程度の話しですが

 投稿者:軟弱銀ヘル  投稿日:2009年 6月 4日(木)20時50分11秒
  当時、私たちの小グループ「カムイ伝研究会」のメンバー、I君の3畳の下宿が西武線の中井にありました。窓の下には神田川‥でした。そこにグループリーダーのN君が転がり込み、2人で暮らしていましたが、当然、そこが私たちの溜まり場になりました。ここでガリ版を切ったり、ヘルを隠しておいたものでした。管理人さんの桃井コンミューンから、直線で6kmくらいの距離です。管理人さんとずいぶん近くに居たのですね。
I君は、新宿三丁目にあった東映映画の2階の食堂で働いていたので、どんぶりモノを作るのが上手で、下宿に行くと玉丼を作ってくれました。
卒業後、I君はネパール、N君はアメリカに海外に行ってしまった関係で、今ではまったく連絡がつきません。
私の周辺は、皆ドロップアウトしてしまいました。死ぬまでには一度会いたいものです。
 

わたしも!

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 6月 3日(水)22時11分32秒
  「頭ごなしに怒る」人間で、ありたい、と思っています。
いつも、旗印を鮮明に(子どもに対しても)して、生きたいという、気持の表れでもありますが…。
 

連投失礼します

 投稿者:  投稿日:2009年 6月 3日(水)20時24分14秒
  日記を読んで。

>頭ごなしに
私は「頭ごなしに」に怒る方です。子供たちが「勢いで」身体を動かしているとき、優しい言葉では止まりません。自分の子でも・近所の子でも・月ニで顔を合わせてる子でも・まったく知らない子でも同じ。私は思いっきり怒鳴ります。そうしないと気づいてはくれません。まして当該の子供たちの身に迫る危険行為なら、なおさらのこと。思いっきり怒鳴ります。止まってから呼び寄せ説明するんです。ダメなモノはダメ!

いろんな考え方がありますんで、私の行為が良いとは限りませんけど、。
偉そうに御免なさいm(__)m
 

>フレンチ・トースト

 投稿者:  投稿日:2009年 5月31日(日)20時40分35秒
  70年代後半さん、こんばんは

30数年前の私は知りませんでしたのよ、フレンチ・トーストって(..)
しかも卵は高級食品でしたよね。冷蔵庫が無かったので八百屋で一個買い。
米殻みたいのに一個ずつ置いてありましたの(遠い眼)

>辛子マヨネーズソース添え
ほんとにもう70年代後半さんはオシャレでハイカラだったんですね。
豪華ですわい。

すばらしいお連れ合い様に乾杯\(^o^)/
 

パンの耳といえば…

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 5月31日(日)01時48分51秒
  当時、近くのスーパーに、食パンの両端と耳が袋詰めされ「20円」で売られていました。
その頃いっしょに住んでいた(注)いまも一緒に住んでいる…)女性が買いに行くと、「20円」なのですが、わたしが行くと、パンコーナーのおばちゃんが「(タダで)持っていっていいよ」って、言ってくれるんです。で、いつも、わたしが「買い」に行くことに…。
トースト(焼き)ばかりでは飽きるので、揚げたり、ときには(とくに両端は)オシャレにフレンチ・トーストにして。キャベツ<EX.辛子マヨネーズソース添え>とともに豪華ディナーに…。
もう、あの頃から30数年が、過ぎました。
 

明大全共闘関係で、

 投稿者:aagh@明大文ゼミ協  投稿日:2009年 5月30日(土)21時53分48秒
  演劇の話題で盛り上がっています。
「あの頃」誰も知らなかった裏話とかも、あるようです。
その「歴史」を、伝えましょう。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meidai1970/comment/20090522/1242993406#comment

 

>貧乏食

 投稿者:  投稿日:2009年 5月30日(土)00時35分44秒
  私的にはキャベツが神でした。
焼いたり炒めたり、煮たり茹でたり、塩でよし醤油でよしマヨでよしソースでよし。もちろん生でよし\(^o^)/

かくれた同志、玉ねぎとの相性はファンクスのような抜群のタッグチーム。キャベツと玉ねぎを塩コショウで炒め魚肉ソーセージがたまに入って鰹節をふりかけ醤油をチチッと振りかけるとお酒の友、ご飯の友。なにもいりませんでした。

しかしながらもやし&パンの耳単体共闘と比すると、ビンボなりに私は「マトモ」なお料理をいただいていたのかもしれません(^^ゞ
 

貧乏食・・

 投稿者:文理\(^o^)/学科  投稿日:2009年 5月23日(土)22時11分54秒
  もやしラーメンもうまそうだが、私の場合パンの耳ラーメンです。ふやけて「麩」みたいになりますが量で勝負ということです。味が薄くなるので塩を足しました。

それと、新宿のション横の鯨カツ定食ですがあれを仲間が「豚カツ」だと言っていました。私が「鯨」だといっても「豚」だと言います。その仲間は「豚カツ」を知らないのです。そういえばパクられると、カツ丼が定番でしたが私はカツ丼をデカが出したのは2回ぐらいしかありません。

完黙貫徹でしたが、私みたいに何回もパクられると少し雑談になります。その時にカツ丼が出たと思います。でも、完黙が基本ですから昼飯の基本は官食です。延べ200日ぐらい留置されたり、鑑別所送りにされたりしましたがカツ丼は2回しかなかったと思います。冷えててうまくない。。

救対を通して、母親からのおにぎりの差し入れを取り調べで食べたのがおいしかった。
 

もやしラーメン

 投稿者:aagh  投稿日:2009年 5月23日(土)08時34分57秒
編集済
  作って食べたくなりました。
どんなグルメ番組よりも、グルメでした。
 

被写体当事者ではありませんが…

 投稿者:70年代後半  投稿日:2009年 5月17日(日)08時35分48秒
  わたし(当時小学生=いま50過ぎのじいちゃん)は、集会を見たことはないですが、中学入学直後、高校生のデモ隊に遭遇したことがあります。かなりの人数がいて、走り去るような感じのデモだったので、第1印象はアッ風が吹いた感じ…でした。そのあと、「(ボキャブラリーがすくなかったせいもあって)楽しそうだな」と、思ったのを覚えています。いま回想すれば、そこには「解放感」があふれていたんだろうな、と思います。写真の子らも、同じ感想(=わぁ、お兄ちゃん達、楽しそうだ)をもったのでは、ないかと思います。
そんな記憶の断片が残っていたとしたら、自らが入学後の大学の閉塞感との落差にガクゼンとした子もいたのでは(わたしも、そのひとりです)…。ただ、それ以上に72年頃からの徹底したキャンペーンと高校での締め付け等によって、圧倒的な多数は、自ら主体的に大学や社会とのかかわりを考えることを予めネグってしまっていたというのが、70年代後半のキャンパス状況ではないかと思います。
 

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